3日目 パリを出たい、でも、ゲイの街へ

ああ、今日も雨だ。
ニューヨークの国連記者クラブにいたローラに5年ぶりに再会。
「パリなんて、もういや!明日にでも、よそに行きたい!」
という話を2時間聞かされた。日曜日に店が閉まっていてどこも行くところがない、子どもに暗い色の服ばかり着せる、強烈な反アメリカ主義、徹底した個人主義、ときりがない。
アメリカと違って一生クビを切られないジャーナリズムの職が見つかった、とパリに移住したのに、恐らく年内に彼女はパリを出ているだろう。
ヘミングウェイらがたむろしていた1920年代なんか、もっとアメリカ人嫌いが激しかったのではないだろうか。。。

私は雨のせいで、パリが嫌になって、少し南のリヨンに行く計画をたてていた。ところが朝になって、仕事が入ってきたので、もう少しパリに。
取材の糸口を得るために、2月に来た時に会ったカーサービスの運転手で英語がうまいラージを呼び出した。待ち合わせはサンジェルマンの有名カフェ Les Deux Magots(渋谷にもある)。ローラに会っていろいろ話を聞いたので、声をひそめて話したが、モロッコ系のラージはおかまいなく大声で、「パリはいいだろう!ニューヨークよりもいいよ!」などと話している。

時間があるというので、Le Maraisのゲイの街に連れて行ってもらう。
「ちょっとこういう展開になると思わなかったから、お洒落なジーンズをはいて来ちゃった。大丈夫かな〜、ぼく」とラージ。
通りにまで人があふれたゲイバーで、パリに来て初めて地元のアジア系をみた。
リヨン行きが流れたので、明日からはちょっと中心部から離れたホテルをとって、パリの生態系をみてみることにする。
それにしても、日曜日はどこに出掛けたらいいんだろう!?

2日目 無愛想なパリ、にこやかなアップルストア

4月23日(月)

FMラジオ J-WAVE に出演してから、昼にホテルを出発。目指すはルーブルにあるアップルストア
パリに来る前、iPhoneのソフトをアップデートしていなかったため、電話がかけられない。ホテルとスターバックスは、WiFiがよく切れるので、アップルストアを目指した。
ところが、歩くうちにどしゃぶりに。しかも、ポンヌフの上で突風に吹かれて、傘をとばされないように足を止めて踏ん張っていたら、後ろから来たフランス人観光客夫婦が続けて、どん、どんと追突した。よく倒れなかったな、と思うような衝撃に呆然としていたら、二人とも私をよけて歩き始め、謝りもしない。

衝撃と寒さで、カフェに入って雨宿り&一服。隣の年配の女性が、International Herald Tribuneを読んでいたので、「読んでないところを借りてもいいですか?」と尋ねると、ちょっと会話が始まった。

「知ってる?米国と違って、こんなカフェで、チップなんてやることないのよ。ウェイターなんてチップに頼らなくてもいい月給をもらっているサラリーマンなんだから、サービスする気なんかこれっぽっちもないんだから」

「それから、こうやって英語で話す時は、ちょっと声を下げた方がいいわよ。アメリカ人が嫌いだから、カフェなのに『黙れ(Shut up!)』とか言う人がいるから」
アメリカ人は声が大きいからね〜と思いつつ、なるほど、いいことを聞いた。

その後、突風と雨の中をアップルストアを目指し、安定したWiFiでダウンロードをしてから、2時間ほど仕事。

カフェのウェイターを始め、確かに無愛想な印象が続いているが、アップルストアは、世界どこに行っても、同じような感じだ。風貌がちょっとオタク風のほっそりした男女が、にこやかに話しかけてくる。フランス人にこんなことをさせるなんて、すごい、アップルって。

フランス大統領選、第1回投票

フランス大統領選の第1回投票日。
早朝、スターバックスに行って、ネットで、ニコラ・サルコジ大統領(民衆運動連合=UMP)とフランソワ・オランド候補(社会党)のフェイスブックページやツイッターをみると、ウォールに何もない。ツイートも2日前から止まっている。
ニュースチャンネルBFMTVをみても、各候補者の映像は全くなし。ただ、各候補がどこで投票するかというフランスの地図に顔写真が出るだけ。
1977年の法律で、午前8時から午後8時までの投票中に、出口調査の結果を報じた報道機関は、75,000ユーロの罰金を払うそうだ。この関係で、フェイスブックも始め、投票に影響しそうなものは一切ない。
ホテルのあるカルティエラタンから少し街を歩く。
一番トレンディな街というLe Maraisの投票所を目指すと、会場となっている小学校の前で、やっと候補者のポスターを見た。
投票所で、取材ができるか頼んでみる。入り口にいた人に「英語は話しますか」と聞くと、「う〜ん」。連れて行かれた投票所の背広を着た責任者にいたっては、眉間にしわを寄せて「英語など冗談を言ってはいけない」という感じで、フランス語にしたら、スムーズに取材が許可された。
オスロの入国管理局で、女性のオフィサーが言っていたのを思い出した。
「パリに行くの。パリはいいわね〜 英語をしゃべらないフランス人以外は完璧よ」
英語がどこでも通じるのを期待してはいけないが、でも今回はフランス語が話せてよかったと思った。

投票所の感じは、日米とも同じような感じだ。有権者は久しぶりの投票で、何だかおどおどしていて、待たなくていいところで足を止めたり、様子をうかがってしまう。
身分を証明するパスポート、半券を手渡し、名簿係がフルネームを大声で読み上げて、責任者がその名前をパスポートで確認。投票箱の投票用紙の差し込み口の蓋を開けて、投票し、すぐに閉じて、「A Vote!」(投票しました!)と大きな声で宣言する。そのあと、名簿にサインして終わり。
パリの中心はやはり圧倒的に白人が多く、1時間半ぐらいの間に、非白人有権者は二人しかみなかった。
続いて、空港からパリ市への電車に乗っているとき、目をつけていた郊外の駅に向かう。移民が多くて、「郊外」はパリジャンとの格差が大きいと聞いたからだ。電車に乗ったとたんに、マジョリティは非白人だ。白人は、空港に行く観光客ぐらい。
目当ての駅で黒人、イスラム教徒ばかりの乗客と降りると、いきなり「ニーハオ」と中国人女性に声をかけられた。何となく話をきいてみると、地方から出て来る親類を待っているようだった。米国みたいに、違法入国して地方の中華料理店を転々とする仕組みがここにもあるのだろう。顔も知らない親類を待っているのだ。
駅を降りて、iPhoneがちょっと使えないため、市役所か小学校を探す。ハラールイスラム教の調理)の肉屋に入って、「投票所は知りませんか」と聞くと、レジにいたおばあさんがカメラを見て「ジャーナリスト?」と聞いてくれた。「ここをまっすぐ行って、交差点を右。それで左側に投票所。分かった?」
肉屋を出てすぐに、通行人とは異なり、目が覚めるような白人で背が高い警官が4人もいたので、一応同じ質問をする。
「カメラはしまった方がいいよ。この辺では盗まれるからね」「首にかけていてもだめですか」「盗られるときに、転んじゃうからね〜」
歩いて数分で、投票所の市役所に到着。同じく、英語はだめという市役所の部長さんにあいさつ。彼をはじめとして投票管理人は、有権者と異なり、みな白人。彼は背広姿だが、女性はみなスーツを着て、すごいピンヒールをはいている。やはり特別な日なのだ。
1時間ぐらい取材。
ホテルに戻ってテレビをチェック。各チャンネルは、午後8時に一斉に出口調査の結果を、番組のタイトルを出す時間も惜しんでばーんと速報。ツイッターをみると、ロンドンの報道機関が出口調査の結果を8時よりも前に報道したらしく、AFPもそれに追随。「75,000ユーロだ!」というつぶやきに混じって、意外にも「法律を破るAFPの決断は支持できない」というのもあった。
出口調査の結果は、BFMTVで、オランド候補が29%、サルコジ氏が26%。過半数を超えないため、5月6日の決戦投票に突入だ。通信社によると、サルコジ氏が負ければ、再選を目指して負けた最初の大統領になる。

八海山と懐石料理

「ライバルはシャンパンとかビールなんです。100回でも、こういうのを開きます!」と八海山ロサンゼルス駐在の黒澤久美子さん。彼女と、「バレンタイン懐石ディナー」を企画した酒ソムリエの新川智慈子さんの元気ぶりには頭が下がる。
バレンタインデーを前に、NYの老舗ホテル、キタノにある「白梅」レストランで、懐石と八海山を楽しむイベントが、週末の2日間に渡って開かれた。

(智慈子さん、左、と久美子さん、写真Morgan Freeman)
東京にいてもなかなかいただけない、あるいは接することがない懐石に、数種類の八海山をふんだんにふるまい、しかも、的確な語彙でお酒やお料理の説明がさりげなく入る。久美子さんと智慈子さんは、大島紬などの着物姿。
バレンタインにちなんで、Kissにひっかけてキスの梅香揚げ。天国に一番近いといわれるニューカレドニアから来たエンジェル・シュリンプの海老次郎煮と、くすっとするような演出もあり、また、目でも楽しめる美しい盛りつけ。

正直言って、私にとってはニューヨークに来てから、一番満足の行く、しかも印象に残るお食事の一つだった。なぜだろうか。やはり、お料理の工夫に込められた、あるいは久美子さん、智慈子さんのもてなしの姿勢だったのではないだろうか。
高いお料理をいただいても、ただ出されるだけでは、印象に残らない。
30人のお客は誰もが、キタノの小島恭之副総支配人や久美子さんたちにお礼を言って、去って行ったし、満足しきった笑顔も印象に残った。
当日午後に到着したという純米吟醸の生酒をきんきんに冷やした一杯は、飲んだ途端に、どこのテーブルからもため息や「うーん」とうなる声が漏れた。たったおちょこ一杯で、これだけインパクトのあるものを紹介できるのも、八海山の伝統につちかわれたものだろう。
しかし、久美子さんはこういうイベントをあと100回やって、ビールやワインを凌駕したいのだと言う。社長さんも100回やれ、とおっしゃっているという。久美子さんはつい最近、ラスベガスのコスモポリタン・ホテルの客室ミニバーに八海山を入れるのにも成功した。すごいがんばりだ。
願わくば、日本の酒造業界がみなで団結して、日本酒を真に知ってもらえる日を一日でも早く達成できたら、と思う。

タイムズスクエアで思ったこと

「県域免許って、だめじゃない! そんなものがあっては、革命どころか変革も起きない」
零下5度のタイムズスクエアに立っていて、突然気がついてしまった。
ムバラク大統領が会見し、退任を表明するかもしれないというCNNの報道をみながら、ニューヨーク・タイムズ本社ビルに向かう。今週開かれているSocial Media Weekのイベント「リアルタイム報道とは何か」に参加するため。
午後2時から始まり、3時にはムバラクが会見と報道されていたため、正面のスクリーンにはエジプト関連のTwitterが、刻々と映されている。
パネリストの一人、NBCテレビのアン・カーリーさんの発言。
ソーシャルメディアが何か、というと、発言することができなかった人たちが、発言を聞いてもらえるということ。弱い立場の人たちが、存在する場所ができるということ」
「水がどんなに小さな穴も見つけて流れて行くように、人々が知りたいと思っていることは必ず、どこからか穴を見つけて、知りたいと思う人のところに伝わっていく」
言論の自由がなかったエジプトやチュニジアの人々が、ソーシャル・メディアにどっと流れた理由が分かりやすく説明された。
もちろん、チュニジア焼身自殺した人のビデオがYouTubeにあったわけではない。でも、彼の友人や追悼の人々が、少しずつ集まって、その中にほんの少しだけソーシャル・メディアを使っている人がいて、また少しずつ、チュニジア国内、そして世界に、「なぜ焼身自殺しなくてはならなかったのか」ということが伝わり、いつかはデモになって、大統領を退任、亡命に追い込んだ。

イベントの後、エジプトのムバラク大統領が退任すれば、必ずタイムズスクエアで、誰かが思いを語ってくれるだろうと思い、タイムズスクエアへ。アルジャジーラテレビをiPhoneで見て会見を待ちながら、突然思ってしまった。
日本は民主主義社会だけれども、ラジオやテレビの免許を各都道府県ごとに許可する県域免許があって、しかも放送内容をインターネットに流さないのでは、地方の人々の声というのは、県域内にとどまってしまう。もちろん、個人がブログなどで情報を発信できるが、きちんと取材ができて、信頼できる情報を流せるテレビ、ラジオ局によるコンテンツは、ニューヨークにはおろか、日本国内にさえ、伝わらないということになる。
エジプトで起きていることを、ニューヨークにいて、中東のニューステレビ局の放送をインターネットでチェックしながら、日本のことが深刻に心配になった。

もう一つの心配。イベント会場には、タイムズ、APなど大手メディアのソーシャル・メディア・エディターが続々と来ていた。日本のメディアのソーシャルへの遅れ。たとえ、取り組んでいたとしても、リンク先に原稿が全文載っていなかったりするわけだから、これも深刻だ。

NYの若者が行く過激なパーティ

28日夜、ブルックリンにあるThe Labというイベント会場で開かれるパーティに向かった。立食でネクタイの人が集まるパーティではない。10代後半から20代前半のKidたちのダンスパーティだ。
現地に着くとすぐ、警官が何人か立っているのですぐに場所が分かった。零下2度。中に入って踊りたそうな若い警官が気の毒に雪の中で警備にあたっている。眉や鼻にピアスをした若者に混じって列に並ぶこと10分。やっと建物の中に入ると、なんと警察のバッジをした男性が、セキュリティを仕切っていた。
「VJ(ビジュアルジョッキー)の友達だから」というと、「OK,でもこれだけはやって」と言われて、女性の係員に送られて、空港と同じ体中を触る検査。ペットボトルの水を取り上げられた。こんなにきつい検査があるパーティは初めてだ。
受付でVJの友達だといって、チャージを払わないですむかと思ったが、「チャリティだから」と言われて15ドル支払い。さらに、友達のところに置けると思ったのでチェックインしたくなかったコートも一律3ドルでチェックインさせられた。
中は、ざっと見て600人ほどが踊りまくる倉庫。隣接する駐車場へも会場がつながっていて、外に出たとたんに強いweedのにおいがした。
やっとVJの友達を見つけ出すと、かなり緊張している。こういうパーティにはハンドバッグを持たないで、ポケットなどにメトロカードなどを入れてくるように常に言われていたが、今夜はこの前にディナーがあったので小さなハンドバッグを持っていた。「いつ盗られるか分からないから、そういうの持ってこないで。責任持てないよ」と険悪な雰囲気。
とりあえず、「15ドル取られたけど、何のチャリティ?」と尋ねると、「主催者の一人の彼女が亡くなって、彼女と家族のためのチャリティのパーティなんだ」
これも驚き。過去に、流れ弾に当たって亡くなった若者のためのチャリティパーティに行ったことがあるが、アイリッシュバーで30人ぐらい集まった程度。若者に人気の場所で、人気のDJを連れて来て、週末に行き場のない(高いクラブには行かれない)若者に案内すれば、ゆうに1000人は集まるという例だ。果たして全額遺族に行くかどうかは疑問だ。
今回のパーティは、同じVJに誘われていったパーティの中で、彼がぴりぴりしていたように一番危険な感じがした。今まではウィリアムズバーグなどで、圧倒的に黒人やヒスパニックが多いパーティだった。踊りは過激だったが、割とのどかな感じだった。
しかし、今晩のパーティは圧倒的に白人が多い。その分、親の所得があるせいか、マスクやぬいぐるみを来たり、女の子たちは下着とみまがうが、下着ではないブランドのパーティ用のコスチュームを着ていて、見た目はかなり派手だった。
しかし、妙な緊張感があった。黒人・ヒスパニックのパーティに比べると、みなが楽しんでいるというのではなく、床に座り込んでいる友達を囲んでいたり、リーダーのような一人がグループをまとめようとヒステリックになってしていたり、床に座り込んだり、泣いたり、寝込んだり、パニックになっている若者の姿が目立った。
もちろん、黒人・ヒスパニックの比率が高いほど犯罪率が増えるのは事実だが、白人が多いパーティのこの緊張感は何だろう、と思った。
友人のVJがあまりに神経質になっていたので、早めに切り上げた。
何のネタがあるかどうか分からずにちょっと様子を見に行っている、昔でいうと「ディスコ」パーティだが、何だか人種問題、経済、いろいろと根深い問題を反映しているような気がする。