警察から逃げる若者たち メディア・ブラックアウトに立ち向かう活動家たち

5月15日

12日の大規模デモは土曜日で、それから15日、つまり一年前に若者が蜂起した日を記念する日まで、週末と週明けのバンキング・ホリデーを利用して、デモを続けようと言うのが最初のアイデアだった。
ところが、昨年のデモの後、警察がプエルタ・デル・ソル広場の閉鎖を午後10時に改定(もちろん、観光客は別)。
12日夜、午後10時を過ぎても、集まった数万人の人が数千人になった程度で、そこここでミーティングが続き、警察ものんびりとしていた。
様子が変わったのは午前3時過ぎ。すでに数百人になって、寝るために掲げていたバナーなどを地面に敷いたり、屋根を作っていた若者のど真ん中に、次々に警察のバンが突っ込んでいった。
すると、「クモの子を散らすように」というのは、まさにこのこと、という情景が広がった。
さっきまで「絶対ここに残る」と言っていた若者も一目散に逃げてしまい、ふと探すともういない。もちろん、「人間の鎖」を作る人たちもいたが、逃げないまでも立ち上がって後退しはじめ、最後には広場を追い出されて、通りの一角に数十人が警察に追い込まれて、最終的に散り散りになった。
このあたりは、オキュパイ・ウォール・ストリート(OWS)の粘りとはかなり違うと思った。でも、失業中で警察に捕まったら、さらに死活問題だというのも痛いほど分かる。

同じようなことを13、14日も続け、15日はもう観察しなくてもいいかな、と思っていた。
午後11時ごろ、食事を終わって、マドリッドを離れる前にお別れを言おうと、知り合いの活動家に電話をすると、広場で会ってもいいという。そのまま、広場に面する安宿に連れて行かれた。
安宿は広場にばっちり面しており、そこからデモも警察の動きもよく分かる。何人かのビデオを持った活動家が、デモ隊の中心でただただ、デモの様子を映してストリーミングで流している。友人活動家の妻がベッドに寝て、出産予定日を15日、その日を迎えた大きなお腹を天井に向けてさらしながら、ビデオ係からのテキストや連絡を操っており、夫の方は、エジプトやカナダなどからも来るデモのビデオを交通整理して、インターネットで配信する。
スペイン語とフランス語と英語が飛び交うその喧噪の中で、何もやることもなく、友人の妻のお腹をさすっていると、午前3時ごろになって、デモ隊が小さくなっていった。
夫の方とは話す暇もなかったが、行った途端に彼はこう言った。
「僕が恐れているのは、メディア・ブラックアウトだ」
確かに、彼らのビデオ隊以外は、メインストリームのメディアはこの数日間夜中過ぎに見た試しがなかった。
そこで、警察が何をしても分からないし、伝えられない。