広島、長崎、中東

広島への原爆投下時間、6日午前8時15分にあたる米国東部時間5日夜、ニューヨーク・マンハッタンのキリスト教長老派教会で、「広島・長崎メモリアル」が開かれた。冷房もなく、扇子やプログラムをあおぎながら、4時間に渡るイベントに参加した200人以上のニューヨーカーを見て、このところすっきりしなかったものが、なぜか晴れていくような気がした。

過去3週間、メディアもインターネットの世界も、イスラエルによるパレスチナ暫定自治区ガザ地区に対する空爆のニュース一色。ツイッターは連日、突然、予告もなく空から降ってきた殺人兵器によって、命を落とす子供の遺体の映像であふれている。

Shrapnel(シュラプネル)は、あまりにもひどい。この爆弾が破裂すると、中に入っていたナイフの先のような金属片が飛び散り、人の肉体を切り刻む。これを浴びたガザの子供たちの写真は、顔や手足に無数の赤黒い切り傷が浮き出て、この傷は一体、消えるのだろうか?と心配になる。いや、皮膚が回復しても、心に受けた傷は絶対に癒されない。

朝起きて、ニュースやツイッターをチェックするのが、嫌になった。米メディアは、イスラエルへの批判を避ける微妙な書き方。これを熾烈に非難する欧州メディアやブロガー。

国連本部前では、「パレスチナ解放を!」と訴えるユダヤ人の一部がデモをする。一方、逆に、繁華街でイスラエル支持者とパレスチナ支持者が一触即発の言い争いをするのも目撃した。

こんな時に何を書いたらいいのか。フェイスブックで、どちらの言い分にも「いいね!」は押さないし、ツイッターリツイートも避け続けた。ただ、自分のタイムラインには、一言書いた。
「無力感」

米国人の友人から、「何で?」との書き込みがあったが、答えなかった。

しかし、5日のイベントでは、場所がキリスト教会であるにも関わらず、あらゆる信仰の住民が参加。20年前から同イベントを続けている浄土真宗・僧侶の中垣顕實(なかがき・けんじつ)氏の呼び掛けで、ユダヤ教イスラム教、ヒンドゥー教キリスト教、仏教の各代表が隣り合って座り、参加していた。

ユダヤ教の代表とイスラム教の代表が、応酬を交わすこともなかった。ヒンドゥー教の女性のリーダーは、
「癒しを、平和を」
と祈った。

一人ずつが平和への祈りを捧げた。原語で何を言っているのか理解できなくても、それはどれも「祈り」だった。

友人のニューヨーク生まれの写真家ポーレ・サビアーノ氏(40)は、「上空から」と名付けた写真展を同教会で8月1日から始めた。5年前から始めたプロジェクトで、広島・長崎の被爆者、東京とドレスデンの大空襲の生存者など、空爆後を生き抜いた人の肖像を撮り続けている。一人一人の身の上話をじっくり聞いた上で、撮影するのが彼のスタイルだ。

「原爆のキノコ雲や、爆撃機から落ちる焼夷弾の映像はみたことがあるが、その下にいた人々に何が起きたのか知りたかった」(同氏)
今後はバルカン戦争を経験した10−20代の住民を「上空から」の証言者として取材する予定だ。
「広島、長崎、ドレスデンは、どれも昔に起きたことだ。でも、自分が40で、年下の20代前後の子が、空爆の記憶を持っている。彼らから学ぶことがあるのではないか」
とポーレ。

異なる宗教者が一堂に会する姿や、広島・長崎からドレスデンバルカン半島へとまたがる写真家の活動に触れ、ニューヨークの人々の多様性を受け入れる柔軟さに、勇気づけられる。敵か味方か、イスラエルパレスチナか、という見方を離れて、一人の個人として、世界で起きている葛藤をどう捉えるのか、と考える勇気がわく。

それは当たり前のことが本当に大切で、その当たり前を破壊する行為に対して、危機感と批判精神を持ち続けるということではないか。

毎年の広島・長崎メモリアルを締めくくるのはニューヨーク州在住の被爆者富子・モリモト・ウェストさん(82)の話だ。
「原爆投下の朝、私は機嫌が悪いまま、家を出て、母親を見たのはそれが最後になりました。若い人に言いたいのは、毎日愛する人をハグしてあげてくださいということです」
(了)