大統領討論会、なんと3時間

5月2日(水)

議論が好きなフランス人。よく言われることだが、サルコジ大統領とオランド候補の、初の「対決」討論会はなんと3時間だった!さすがに疲れて、最後の方はうとうとした。アメリカの大統領候補討論会は大体90分だ。
それをフランス人に言ったら「たった90分?」と言われた。
レストランで食事をして、別れる時も、お勘定をすませて、コートを着てからも、何か話題があるとまた話が始まってしまう。みていると、その状態で30分ぐらい話している人たちもいる。
取材で会ったインテリのCさんもこう言っていた。
「フランス人は、初対面ほどよくしゃべる。自分のことを職業やら学歴やらみんな話して、相手に自分を知ってもらおうとする。逆につきあいが長いほど、黙っていてもいいということになっている」
「日本人は初対面ではほとんど何も話さず、その場の一番偉い人に話させる。それから、その偉い人を抜いて、ビールを飲みに行ってやっと本音で話す。フランス人と逆」

実は討論会は、アメリカみたいにバーで「観戦」したら、取材になるかと思って、討論会を見せるところを探した。
ところが、「ウー、そんなのとんでもない。けんかが起きてしまう」と、どこも映さない。日本人がたくさんいくオペラ座のちかくのレストランも「テレビ討論は映すけど、音は出さない」

Cさんによると、フランス人は家でピザを注文して、家族で見るか、支持政党が同じ友達と見るという。議論は好きだけれども、予想される無駄な口論は避けたいということだ。
ということで、ホテルで一人で「観戦」した。疲れて舟をこいだりしたので、結果的にはホテルでよかった。。。

やっと生ハム

cako2012-05-04

知人の紹介で会ったQ氏が、連れていってくれたLes Juvenilesにて。知らない女性と、生ハム、ワインはあり得ない、と思っていたら、ガールフレンドが後から合流。
両親と食事したとかで、デザートの後から、生ハム、白ワインには戻れないと、口にせず頑張り通した。やはり、食事には、決まりごとがある。日本の食事もそうだから、何となく納得。




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8日目 大統領になるかもしれない男、オランド候補

4月29日(日)まだパリ

ショッピングができない日曜日にどこに行こうかと考えることなどなかった。サルコジ大統領の対立候補社会党フランソワ・オランド候補の集会が郊外であった。
街中でみつけた社会党の事務所によると
「2時からバンドが出て楽しいよ。そして4時からオランド氏の演説だ」
そこで、1時半ぐらいに着けばいいかと思えばこれは大間違い。日曜日なのに地下鉄内は通勤ラッシュ並みの混み方。スタジアム会場のある駅では全乗客が降りて、車内は空に。すでにスタジアム内は満員になっているらしく、入り口の人の流れはなかなか動かない。前後の人と体がぴったりくっついて、まさに英語でいう「オイルサーディンの缶詰のように」なったまま、少しずつ動くこと15分かかって、やっとスタジアムの中に入った。
なんと22000人、集まった。
2時から、黒人のヒップホップ歌手二人がトップバッターで、ちょっと体重ありそうな団塊おじさんの白熱ロックンロール、そして、アップルのコマーシャルの歌を歌ったシンガーソングライターと、あらゆる世代に配慮したアーティストが2時間歌いまくった。
さて、初めてみる「生」オランド候補、もちろん豆粒ほどだが。。。
幸いにも大スクリーンが真ん前にあって、しかも耳が不自由な人のために、演説の字幕が出て来るので、内容も分かる、ラッキー。
選挙のために15キロ減量したというが、うーん、やはり首が襟に埋まっていて、まだ減量の余地がありだ。
また、社会党の栄光の大統領ミッテランの演説ビデオを見て練習したという演説、これも60分を過ぎて、原稿なしで自分の言葉で話し始めたとたん、抑揚がなくなり、どこにでもいるおじさん風になった。
やはり、原稿なしでの演説のカリスマ性はサルコジが勝っているようだ。
それにしても、フランス人はタフ。
子どももお年寄りも、2時から4時までわいわいと音楽を楽しみ、そしてそれから80分以上、「大統領!」「勝つぞ!」と連呼し、保守の話になればブーイングし、立ったり座ったり、チーズと生ハムとワインが詰まった肉体には勝てないと自覚した。

7日目 再び、食べること

4月28日(土)

「パリで美味しいものを食べて、ちょっとゆっくりしたら!」とみなに言われて出て来たが、けちしているせいで、全く食事にはあたっていない。
朝はお紅茶とグラノラバーで、美味しい紅茶があればかなりいいスタートが切れる。
あとは一日一回と決めている外食で、サンドイッチを買ったり、カフェでつまんだり、という感じ。今までで一番美味しかったのは、日本人の人がごちそうしてくれたイタリアンだ。美味しいパスタであれば、私が常に必要としている「炭水化物」が簡単に取れるので大歓迎。(もちろんご飯があれば文句なしだが)
しかし、カフェやブラッスリーで、パスタを注文するのは、おそらく米国の庶民的レストランでパスタをたのむのと同じぐらい危険(びちょびちょのパスタしか出さない)と思われる。パスタが好きではない人にとっては、どうでもいい代物でしかない。
あるカフェに入って、黒人のウェイトレスがまかないを食べていたが、何のソースもかかっていないラビオリをゆでただけのもの。そこに、パセリや塩、胡椒など一生懸命かけて食べていた。ここでパスタを注文したら、推して知るべしだ。
彼女が食べ終わって、ほかのウェイターが食べていたのは、コンフィ・ド・カナール(鴨の塩漬けを焼いたもの、これはかなりいけるメニュー)が少し添えられていたが、付け合わせが、さきほどのソースなしラビオリだった。
安くて、満足がいくものは、中華のデリ。
100グラムとか150グラムと日本のデパ地下風におかずが注文できるため、あれこれ食べられる。
海老の炒め物100グラム、野菜炒め100グラム、チャーハン100グラム、海老餃子2個で、7.5ユーロ。まあ、お値ごろとはいえない。
対して、仕事の前に慌てて駆け込んだマクドナルドのベーコンエッグ・マフィン+コーヒーが2.7ユーロ。さすがマクドナルド。本当に切り詰めたければ、おがみたくなるような安さだ。
人から勧められる、夕方ブラッスリーに入り、ワインと生ハムの盛り合わせ、はトライしたくてたまらない。しかし、毎日雨と風で体が冷えきった後に、冷たい生ハムは何ともやりきれない。もう少し暖かくなったら、きっとフランス人のように、ブラッスリーの旨い夕べをトライできるかもしれない。

(雨の中で演奏するバンド。もんぺ風なパンツは、3年前からニューヨークのアンダーグラウンドな場所で流行っていたが、やっぱりパリ発だったのか?!)
今日は朝から、再びナンテールの農園に行き、20年以上活動しているエイズ患者団体の代表に取材。それから中心部に戻って、プラース・シャトレ(広場)で、反サルコジの集会をぬれねずみで取材。土砂降りなのに、異常な盛り上がりで、バンドの古くさい音楽を聞いて、みんな楽しそうにしていた。

6日目 野宿する若者たち

4月27日(金)

NYの友達に紹介された活動家Nを探して、パリ郊外で若者が占拠しているシアターに行き、そこから別の郊外の農場へ。
今日は写真を中心に。
ピエール、マリー・キュリーという名のメトロ駅

郊外のイブリー(Ivry)。中心部と違って、ゴミと犬のふんが落ちていないので、びっくり。

若者が占拠しているシアターの入り口。NYで始まったオキュパイ・ウォール・ストリートの連中もここに泊まっている。今朝、警察の手入れがあったそうだ。
NYのオキュパイ・ウォール・ストリートに比べて、かなり汚い。屋根があるのは助かるかも。

イブリーから若者たちに連れられて、電車に1時間乗り、ナンテールの「占拠」農場へ。25年間占拠して農場、アートのイベント会場に使っているところに、若者が集まって泊まっている

こっちは泊まってもいいかも。

5日目 食べることは自分たちのアイデンティティ

4月26日(木)

ローラがパリとフランス人に参っているという話を聞いたので、会った人に必ず聞くようにしている質問がある。
「パリやフランスのどこが一番いいですか」

日本からバックパックで旅に来て、フランスに住み着いたというT氏は、「まず、食べ物だ」と即答!
ハムにチーズ、そしてワイン。
あまりグルメではない私は「はー」と言っていたら、「フランス料理とイタリア料理のどちらが好き?」と聞かれた。
「フランス料理は東京でもニューヨークでも高くて食べに行かないし、イタリア料理店ならシェアしても怒られないので、行くにも料理するにもイタリア料理が圧倒的に多い。一生のうちでフランス料理店に行ったのは恐らく5回以内」
と事実を言ったのだが、ここで私は地雷を踏んでいた。
パリにはブラッスリーというのがあって、ハム一皿だけ食べても、シェアしても怒られない、美味しい食べる物がいくらでもある、というのは極めて重要だとT氏。

続いて、ローラの友達で、英語、フランス語完全なバイリンガルのMちゃん。
「重要なのは、フードと言語」
とこれも即答。
「ローラは、フランス語が話せるけど、十分な話し手ではなくて、誤解がいろいろあった。その上、彼女はアレルギーで乳製品が食べられない。パリでアンハッピーなのは、そのせいでしょ」
「一日の終わり、疲れて帰って来て美味しいワインとチーズがある。何にも代え難い。フードと言語が大切なのは、日本でもそうでしょう」
と言われた。
日本人は、単一民族国家なので、そこまで強烈に食文化と言語を擁護はしないだろう。擁護して議論をするべき、相手すら住んでいない。

4日目 20年ぶりにみたあるもの

4月25日(水)

知人の紹介で、K氏に会いにラ・デファンスへ。駅を降りると、ラスベガスみたいな大きなモール(とても、パリと思えない、ユニクロあり)、石油大手トタル、世界最大の原子力複合企業アレヴァの本社ビルが、どーんと建っていてびっくり。トタルは、世界の大企業トップ10に入っているフランス唯一の企業だからだ(トヨタ自動車が10位)
http://www.afpbb.com/article/economy/2619929/4348472

そこで、さらに一年前にニューヨークでお会いした作曲家の大島ミチルさんにも再会。パリと東京を行き来されているのをすっかり忘れていた。パリでは一番作曲が進むそうだ。お仕事は、パリ、ベルギー、中国など各国で。尊敬。

その後、K氏のつてで、サン・ドニ通りにある、T氏の映像プロダクションのオフィスへ。朝日ニュースターの新番組「ニュースの深層」にスカイプで出演するのに、インターネット回線が安定しているところを探していたからだ。このオフィスはパリでは珍しい光ファイバーを使っていて、これで一つ懸案が解決。

そのオフィスを探す間、サン・ドニで見たものとは。。。
売春婦たち。

うーん、ここまでそれっぽいかと思う、誰にも真似できないコスチュームですぐに分かる。ミニスカート、膝上までの黒いストッキングとそれを止める黒いガーターベルト、胸が大きくあいたトップに、真っ赤な口紅、大きなつけまつげ、折れそうなピンヒール。
もちろん、Pretty Woman のジュリア・ロバーツみたいモデルのような人は絶対にいない。
1920年代風の彼女たちが、いなくなる日はあるのだろうか。
(売春婦を見たサン・ドニの繊維街で、重い物を運ぶ仕事のために集まっている人々)