ハイチ版サバイバー

2010年3月28日(日)

朝6時、ボディガード代わりにフランス語が話せる紳士的な青年、クリフォード・ジャンを連れて、カティアンと市場に行き、牛の解体を撮影した。
モーガンは早朝の日差しが強いので、誘わなかった。彼はアルバイノ(皮膚に色素がなく、日差しが当たると日焼けしないで、水ぶくれになる)なので、ハイチに来たこと自体、勇気ある行為で、少なくとも3種類の日焼け止めを塗っている。
その後、キリストの復活を祝う行列を撮影するため、ラジオ局の近くにあるカトリック教会に行って、お年寄りの信者に挨拶をしておく。今度はラジオ局の社長自らが、神父のマイクの設定に早朝から取り組んでいた。
間もなく、真っ赤な式服の神父と、キリストの再生を意味する細長い葉を手にした人々が歌を歌いながら、教会に向かって歩いてきた。少なくとも1000人はいた。
女性の服装が保守的なので驚く。ステファニーが教会に着ていく服がないといった意味がよく分かった。

その後、7時半には、エバンスの親類の家に向かって、復活祭の朝食のはずだったが、連絡をとると突然キャンセルになっていた。
11人もの人間(米国人?)が、床に寝て、貧しい食事をし、水しか出てこないシャワーを共有し、炎天下で朝から晩まで瓦礫の中を歩き回り、働き、病人が続出すると、まるでテレビの「サバイバー」みたいになってくる。
大体、二つのグループに分かれて、反目し合う。私は間に挟まって様子見だが、イライラすることは度々ある。今どき、メールチェックなしでは生活できないのに、私を含む4人以外は、全員、携帯電話の国際契約をしないでハイチに来ていた!当然、私のiPhoneはメールチェックによく使われる。日中、いくつかの班に分かれて行動していると、お互いの連絡にも容赦なく使われる。
おまけに、携帯を持ってきた4人のうち二人が充電器を家に置いてきていた!
「ケイコのソーラーバッグは今日は充電できている?」とすぐ借りに来る。
直径2センチほどの水しか出てこないシャワーが一つしかなく、全員が1日の終わりに汗みどろになっているのに、40分シャワーを浴びる輩(男性)。
こうしたことが重なって、私とカティアンが撮影に出かけているわずか1時間半のうちに、ハイチ人ボランティアを含む10人が突然いがみ合いになり、怒ったエバンスが、朝食をキャンセル。朝から働いて、おなかがすいているのに、乾いた食パンと、ハエが群がる昨晩の残り物しかない、という状況に陥った。

グループ行動を離れるときがきた。
私は、レオガンだけでの取材では不十分と思っていたため、28日から首都ポルト・オ・プランスに単独移動し、西側メディアが宿泊する高級ホテルをあらかじめ予約していた。
ところが、仲間割れの結果、カティアンと、病気にかかった人など5人が突然、ポルト・オ・プランスについてくると言い出した。
孤児や子供の話より、サバイバーの話のほうがずっとおもしろいかもしれない、と思い始めた。

(ハエがとまらないように、コーヒーカップにナプキンをかけてくれるステファニー。右がエルビー・カジュスト。二人ともキャンプから来て、当然のようにほぼ一日いるようになった。簡単なことなら、フランス語からクレオール語に訳して、人に伝えてくれたり、仕事も手伝ってくれる)