大航空時代のニッポン号

2009年10月30日(金)

この間帰国したとき、毎日新聞会館1階で開かれていた「ニッポン号展」をみて、びっくりした。
1939年、毎日新聞東京日日新聞が、海軍の三菱製輸送機を借りて、世界一周を果たしたという。8月から10月まで32日間、飛行時間194時間、15カ国を親善訪問した。
展示室の奥では、恐らく関係者OBとみられる年配の方々が、白黒ビデオをみて「いや、大変だったんだよ」などと談笑しておられた。
http://video.mainichi.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48227968/48227968peevee234305.flv(出発の日のビデオ)

(帰国した日の新聞、迎えに来た人の数、車の行列がすごい)
びっくりしたのは、この時代の新聞社の力だ。海軍機を借り受け、読者から名前を公募し、「ニッポン号」と名づけ、機長以下7人の技術士・記者などを乗り込ませ、各地からのニュースを報道し、当時では考えられない長距離飛行を実現させた。大きな故障も事故もなく、32日間飛行機を飛ばした新聞社は、当時のハイテクの塊、そして、国力の象徴だったろう。今、国民のほとんどを当時ほど興奮させるイベントができるメディアは、まず、ない。
同時に、戦前の航空・海軍力の強さを謳歌し、意気揚々としていた日本の姿も、世界一周が実現した背景だろうと思うと、ほろ苦い。

(ニッポン号が撮影したニューヨーク・セントラルパーク)

(ニッポン号が柄になった子どもの着物。ドイツ・ナチの旗も。このほかに、ニッポン号の歌のレコードや、プラモデルも展示されていた)