ケネディ家の栄光の終焉

2009年8月26日(水)

朝5時のNBCローカルをみていたら、トップが、テッド・ケネディ上院議員の訃報だった。リベラル派の象徴だった。
http://voices.washingtonpost.com/ezra-klein/2009/08/the_cause_of_ted_keenedys_life.html

暗殺された大統領、JF・ケネディ(当時46)の弟で、ケネディ家というのは、どこに行ってもスポットライトを浴びるというのを、テッドを見ていて実感した。
彼が亡くなったことで、ケネディ家で政治家としてスポットライトを浴びる人は、一人もいなくなった。長男戦死、次男JFK銃殺、三男ロバートは大統領選中に暗殺され、病死はテッドが初めてという悲劇の一家だ。

(テッドの生涯のビデオを集めたニュース)

甥っ子二人も事故で死亡している。
ロバートだったか、テッドだったか、ニューヨーク初の黒人市長、デビッド・ディンキンズ氏の選挙を手伝っていて、雑貨屋に寄ったところ、「ケネディだ!」と支援者が騒ぎ、もみくちゃにされて、雑貨屋を出たら、背広の袖やボタンがなくなっていたという。

テッドは昨年の大統領選挙で、オバマの支持を表明。その席で、片腕を振り上げて「オォォォォォバァァァァァァア、マアアアアアア!!!」と叫んだ。演説も絶叫調だった。古いタイプの応援だなあ、と感じたのを覚えている。

その後脳腫瘍が分かり、8月の民主党大会に参加できるかどうか、危ぶまれた。
コロラド州に全米から集まった人たちが、毎日「テッドは来られるのか」「彼なしの党大会なんて」と心配していたので、その人気に驚かされた。しかし、治療のせいか、ちょっと太った体で党大会にやってきて、参加者は感動して涙ぐむ人もいた。

オバマは、夜中のうちに追悼の声明を出し、午前10時前に記者団の前でもう一度、追悼の意を示した。
「彼が、人権の平等を訴えて回ったことは、私を含めて、多くのアメリカ人が恩恵を受けている」
http://content.usatoday.com/communities/theoval/post/2009/08/68497837/1(USAToday記者のメモ)