ハイチ入りする友人たち

2010年1月25日(月)

珍しい暴風雨、の中、ジュリアン・ビゴに会いにSOHOに出掛けていった。モントリオールから来ていて、同日帰ってしまうので、雨でもキャンセルするわけにいかない。
ジュリアンには昨年7月、ロサンゼルスのマイケル・ジャクソン自宅前で出会った。MJの急死に、豪邸前には大勢の人が訪れ、花束や手製のメッセージカードが、自宅前20メートルぐらいの芝生を埋め尽くしていた。(MJの玄関門にはクリスマス・リースがかけられていた。クリスマス・リースだろうと思ったが、でも誰かがMJの死に際して贈られた花輪かもしれない、と思い、黒人のボディガードに「これは何のため?」とたずねた。彼曰く、「クリスマス・リースだよ。マイケルはクリスマスが大好きで、クリスマスが終わっても外したがらなかったんだ」!!!)
そこで、私がコメントを取ったのが、当時モントリオール大学比較文化助教授のジュリアンだ。MJのファンで、彼の死について、オンライン映画を作ろうとその場に来ていた。
半年振りの再会だが、彼女の身辺は急速に変化していた。
まず、年末にモントリオール大学を辞めた。著書を何冊書いても、なかなか昇進させてくれないため、訴訟準備までしたが、ほかの人生をはじめようとすっぱり辞めた。彼女は10カ国語話すから、世界中の大学で講座を持っている。どこでも生きていけるのだ。
辞めて、モントリオールの家を売ったりしていたら、ハイチ大地震。彼女は、ハイチに行ってボランティアをすることに決めた。ニューヨークには、ハイチに持っていけない身の回り品を友人に託すために来ていた。
「とても、あんな可哀想な人たちにカメラは向けられない。だからボランティアになって、現実を目撃してくる」
夏には、体外受精で妊娠するため、カナダに一時戻るという。パワフルだ。

一方、Orphans Internationalのジム・ルースは3月頭まで必要な物資をそろえられるだけそろえて、ハイチ入りする予定。ファンド・レイジングのパーティの準備も進んでいて、これも動きが早い。

(以下は、広島で被爆し、その後長崎に向かったために、2重に被爆してしまった人たちのことを書いたThe Last Train From Hiroshima のニューヨーク・タイムズ紹介記事)
http://www.nytimes.com/2010/01/20/books/20garner.html?scp=1&sq=pikadon&st=cse