マイケル・ジャクソン追悼式

2009年7月7日(火)

虫の知らせがして、朝5時過ぎにホテルを出た。
歩いて10分ほどで、マイケル・ジャクソンの追悼式が開かれるStaples Centerから1ブロック離れたところまで来た。その先は、警察が封鎖し、チケットを持つ人だけが入れる。
しかし、警察がいつ封鎖を広げるか分からないため、ずっとここにいることにする。

まだ人は少なく、前の晩から路上に泊まった人以外は、マイケルのTシャツやバッジ、ポスター、ステッカーなどグッズを売る人が、うろつき、お店開きに忙しい。商魂たくましい。

バッジを売っている黒人のおじいさんと立ち話。セントルイスから来た。バッジ業者のもと、全米のあちこちに行く。4日の独立記念日、つまり3日前はテネシー州ナッシュビルにいた。不況で次々と財政出動するオバマを批判する、全米的な保守派の運動TEA Party(Taxed Enough Already)で、やはりバッジを売っていた。
話しているうちに、彼が「お釣りが足りないから、20ドル札がくずれないか」という。お財布には19ドルだけあった。
「いいんだ、世の中、助け合いだから。心のある人と、ない人と、なあ、マイケル」
とStaples Centerに向かって呼びかけている。バッジを4つ買うと、おじいさんは1ドル損した上に、バッジを2つおまけにくれた。ま、原価が知れるということか。

結局、私がいた場所は、チケットのない1000人あまりが封鎖された交差点の二つの角にぎゅうぎゅうとひしめいて、追悼式で何が起きているかも分からず、たたずんでいた。
ときどき、誰かがMichael! We love you! と叫ぶと、ほかの場所から、I love him, too!と返す。
警察官はこの二つの角沿いにずらりと並んで、車道に出ると、怒られた。
テキサスから、アーカンソーから、マサチューセッツから、はてはドイツ、インドから来た人もいた。

日本から来て、チケットが得られずとぼとぼと帰る人もいた。一方で、「チケットありませんか」という札を持って立っていて、心やさしいおばさんにチケットをもらい、抱きしめてもらって、感動で泣いている女の子もいた。
この女の子をUSAToday記者が取材するのを通訳して手伝った。彼女が英語がわからなかったからだ。記者は彼女が泣いているから、マイケルの死を悼んでいるのだと思い込んでいた。
記者「何で泣いてるんですか?」(→通訳)
彼女「Happy crying」
チケットをもらったうれし涙と分かり、記者は「オー、感動的だ」と、原稿を書きに急いで帰って行った。
彼女の写真と記事は8日朝刊に載っていた。涙でマスカラが流れていたことも。
http://www.usatoday.com/life/people/2009-07-07-jackson-fans_N.htm(USATodayの記事。スライドショーに、警察官が叫んでいる音声が入っていて臨場感がある)

午後2時ごろ、炎天下の歩道に長時間いたためにぐったりして、ホテルに戻り、追悼式のハイライトをテレビでみながら、米メディアの報道をチェック。
クライマックスは、マイケルの娘パリス・キャサリン・ジャクソン(11)のコメント。

ジャネット・ジャクソンが「大きな声でいうのよ」と促して、泣きながら「パパは最高の父親でした」と何とか言い終えた。
3人の子供は、マイケルが仮面を着せたりして、ほとんど顔を見たことがなかったので、これは驚いた。
パリスは真っ赤なマニキュアをしていた。一番下の子ブランケットは、上着が半分脱げたマイケルの人形を持っていた。
誰よりも心を打つ演奏をしたのはスティービー・ワンダー

曲は"I Never Dreamed You'd Leave In Summer" and "My Destiny".

夜中まで、パリスのコメントや、スティービーの歌、兄ジャーメインの涙ながらの「スマイル」がどのチャンネルでも繰り返し繰り返し流され、ほんとうに朝5時から夜中まで、「マイケルの一日」だった。